焼酎王国と言われる鹿児島の焼酎の歴史は、国内には原生していなかったさつまいもの鹿児島上陸から始まる。その後重要な食糧資源として国内に広がるが、そのさつまいもからアルコールを取り出し、焼酎として飲用に仕立てたは、幕末の薩摩藩主、島津斉彬公であった。
「本格焼酎」とは様々な主原料と麹を原材料とし、ウイスキーやラム酒のように単式蒸留器で蒸留した蒸留酒です。主原料が持つ独特の風味が特徴です。(日本酒造組合)
鹿児島の本格焼酎に欠かせない原料のひとつ、さつまいもは、原産地はメキシコなどの中南米といわれ、15世紀の終わり頃にヨーロッパへ渡り、東南アジア、中国、琉球へ伝わったとされている。
その後日本へ伝わったルートには複数説がある。その中に、1705(宝永2)年、(現在の)指宿市山川地区で薩摩と琉球を往来していた利右衛門(りえもん※)が、琉球から鹿児島本土に初めてさつまいもを持ち帰り栽培に成功したという説がある。鹿児島特有の火山灰土壌のため稲作には不向きなシラス台地に、さつまいもはよく育ったことから、鹿児島の温暖な気候も相まって、瞬く間に鹿児島全域に広がった。さつまいもの普及のおかげで、多くの人々が飢餓から免れることができたとも言われる。
※利右衛門については、出生年は不明で、職業は農民とも漁夫とも言われ、今でも多くの謎が残されているという。利右衛門は武士ではないので当時は苗字がなく、明治時代以降に子孫が前田姓を名乗ったことから、現在は「前田利右衛門」の名が定着している。指宿酒造では利右衛門銘の本格焼酎を製造している。
明治維新の原動力となった薩摩藩の財政立て直しに貢献した、幕末の西日本の海運王「濱崎太平治(1814-1863)」も現在の指宿市出身である。 「鹿児島のパイオニア群像」
そのさつまいもが焼酎造りに使われるようになったのは、幕末の薩摩藩主・島津斉彬公(1809年-1858年)の時代である。斉彬公は藩主に就任する(1851年)や、藩の富国強兵に努め、洋式造船、反射炉・溶鉱炉の建設、地雷・水雷・ガラス・ガス灯の製造など軍備の近代化を目指した集成館事業を興したほか、嘉永4年7月(1851年8月頃)には、土佐藩の漂流民でアメリカから帰国したジョン万次郎を保護し藩士に造船法などを学ばせたほか、安政元年(1854年)、洋式帆船「いろは丸」を完成させ、帆船用帆布を自製するために木綿紡績事業を興した。
島津斉彬公の集成館事業は、18世紀後半以降、海外の艦船が日本近海に出現(※)し、日本へ開国を求める事態が出現し幕府の鎖国政策の中、島津斉彬公はこれら艦船への防備力を高めるためであり、その一環として軍備の近代化のために大量のエチルアルコールを必要としたといわれる。
斉彬公は大量の工業用エチルアルコールを、米より安価なさつまいもで造ることを思いつく。
さつまいもは、稲作に適さないと言われた鹿児島のシラス台地でもよく育ち、当時の薩摩藩では最も手に入りやすい作物の1つであり、安価で大量に生産できる穀物であった。このさつまいもを使ってエチルアルコールを量産しようということであった。
斉彬公はさつまいもを原料としたエチルアルコールを軍備用として増産していくが、やがて飲料用としても利用できるように製造方法の改良を命じた。そして、この斉彬公の命をきっかけに、芋焼酎が飲料用として薩摩から全国各地へ広まっていったとされる。
※海外艦船の開国要求と幕府の対応については「維新前夜の太平洋」をご参照ください。
焼酎造りには「麴」が必要である。明治時代半ばまで、日本では東アジア全域に生息している「黄麹」を用いた酒造りが行われていた。
大蔵省熊本税務監査局鹿児島工業試験場へ技師・酒の鑑定官として赴任した河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年-1948年)は鹿児島の焼酎が不味くて、暑い時期にすぐ腐るのは、暑い鹿児島の焼酎に寒冷地向きの日本酒と同じ黄麹菌を使っている事が原因ではと気づき、鹿児島よりさらに暑い沖縄の泡盛が腐敗しないことを思いつき、沖縄から泡盛の黒麹菌を持ち帰った。
この黒麹菌はクエン酸を生成し、そのクエン酸には雑菌を抑制する効果があるため、もろみの腐敗を防ぐことができるが、黄麹はクエン酸を生成することができなかったため、暑い地域ではもろみの腐敗に繋がっていたことが判明した。
河内はこれを、焼酎作りに最適な「河内黒麹菌(学名:アスペルギルス・アワモリ・ワァル・カワチ)」に3年かけて培養した。河内の熱心な技術指導は、鹿児島の多くの業者に慕われ、焼酎の近代化をもたらし、日本の焼酎文化はここから始まったといわれている。
広島県出身の河内は大蔵省を46歳で退官、1931年(昭和6年)鹿児島市清水町に麹菌を製造販売する「河内源一郎商店」を創業し、各種焼酎用種麹の研究を続けた。こののち北九州を皮切りに九州全土へ、また全国へ評判が広がり、現在わが国の本格焼酎の9割近くが河内菌を使用し、韓国の焼酎も殆どが河内菌で生産されているといわれる。
※2025年3月23日開催の「世界かごんま人の会」ZOOMミーティングでは、株式会社 源麴研究所の山元さんにもご参加いただきました。 「世界かごんま人の会」
鹿児島県酒造組合(109社)がまとめた2024酒造年度(24年7月〜25年6月)の県産本格焼酎の出荷量は前年度比4.9%減の8万2095キロリットルで、12年連続で前年実績を下回った。少子高齢化や健康志向の高まり、消費者の好みの多様化による需要の落ち込みが要因とみている。
生産量は同8.4%減の10万9298キロリットルと4年ぶりに減少。焼酎を製造するのに必要なこうじ用米の価格が高騰し、生産量を抑えたメーカーがあったという。
出荷量の減少が続く一方で、海外輸出は7.8%増の462キロリットルと好調だった。最大の輸出国である中国は31.3%増の149キロリットルで、上海などの都市部で若い世代からの人気が高まっているという。炭酸割りやフルーティーな香りのフレーバー焼酎の浸透、本格焼酎が「伝統的酒造り」としてユネスコ無形文化遺産に登録されたことを受け、組合は今後も国内外の市場拡大に取り組むとしている。
(出典:財界九州2025/9/10)
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