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北カリフォルニア鹿児島県人会設立 |
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皆様、昨年は10月31日に盛大な東京ウェルカムイベントを開催していただき、北カリフォルニア鹿児島県人会一同、心から御礼申し上げます。 また1871年には岩倉使節団がサンフランシスコに入港し一行には大久保利通、村田新八などの薩摩藩出身者が随行しました。 北カリフォルニア地域と鹿児島の繋がりは古く、鹿児島県人の足跡は長澤鼎(薩摩藩英国留学生の一人)が1875年にソノマ郡サンタローザでブドウ園経営を開始したことに遡ります。長澤鼎は1865年に英国に留学しましたが、1867年に米国のニューヨーク州ブルックリンに移住し、キリスト教系新興宗教団体のBrotherhood of the New Lifeにてブドウ栽培を始め、1875年にブドウ栽培に適したサンタローザ市に移住しました。
(写真はカリフォルニア州サンタローザ市の自宅前に立つ長澤鼎翁) 1848年に現在の州都であるサクラメント近郊で金が発見され、翌1849年にはゴールドラッシュが起き、多くの人々が北カリフォルニアに入植してきました。これがきっかけでナパ郡やソノマ郡のワイン生産も拡大しました。 長澤鼎のファウンテン・グローブ・ワインは、カリフォルニアから最初に英国に出荷されたワインで、ヨーロッパでも好評を得ます。現在ではサンタローザ市役所の議事堂に長澤鼎の胸像が展示されていますが、2007年7月28日にサンタローザ市にナガサワ・コミュニティー・パークが開園し、地元の人々から長澤に対する尊敬と親しみをもって大切にされています。
当地では産学連携が盛んでスタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校、カリフォルニア大学サンフランシスコ校だけでも約100名のノーベル賞受賞者を輩出しています。学術だけではなく産業界でも半導体、コンピュータ、インターネット、バイオ、エネルギー、電気自動車、人工知能などのイノベーション技術が、多くのベンチャー企業から生まれている地域で、日系企業や日本人留学生も多くいます。 第二次世界大戦が始まり、1942年にはカリフォルニア州など西海岸に住んでいた約12万人の日系人に対する強制収容が実施され、1945年の終戦まで収容所生活を強いられました。1951年には当地にてサンフランシスコ平和条約及び日米安全保障条約が締結され、戦後の日本の主権が回復されました。 特にサリナスとワトソンビルに移住した人々は。北米最大の花卉栽培産業を興し、その真面目な働きぶりと地域への貢献により、戦後の反日感情が強かったサリナスの人々の心を、友好の感情へと変化させました。その後1979年5月に串木野市とサリナス市は姉妹都市契約を締結し、相互交流を通じて鹿児島と米国の絆を一層深めています。  そこで、県人会といった当地での人的な繋がりを通じた交流が鹿児島とカリフォルニア州、ひいては日米友好関係の一層の強化になるとの思いから、有志により2017年11月19日に北カリフォルニア鹿児島県人会(KANC)の発足式が開催されました。 2019年1月26日 KANC新年会・総会(サンタクララ) |
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鹿児島のパイオニア群像 -市井の挑戦者達-
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私たちが住む米国カリフォルニア州の北部にあるサンフランシスコ・ベイエリアは、1860年に日米修好通商条約の批准書を交換するために、咸臨丸が米国船ポーハタン号の随伴船として渡米以来、日米友好の発祥の地となっています。 












