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| 南水翁の帰米
翁は、1949年に熊本国税局に採用され、指宿税務署を振り出しに知覧税務署、川内税務署と、1960年5月に退官するまでの11年間、南九州地区の国税局に勤務する。この間妻を娶り3人の子宝に恵まれた。
南水一家は同年6月2日にサンフランシスコに到着。従兄弟およびすでに現地で日系人と結婚していた妹の出迎えを受けて、一家は車にてロスサンゼルスヘ移動した。 |
| 戦後米国での足跡 翁は造園業の傍ら、1967年短歌結社「潮音」に参加し、以降幹部同人としてカリフォルニアでの短歌の普及を推進する。 その一方、カリフォルニアで鹿児島県人の絆の強化と後進の育成に尽力された。 2003年3月 須賀龍郎鹿児島県知事主催の歓迎レセプションでの記念写真 |
| さいごに 南水翁は先述のように2003年に「南加鹿児島県人会」の二世、三世で結成された「鹿児島ヘリテージ・クラブ」一行18名をひきいて鹿児島訪問を実現できたことの感慨を、新県庁訪問や歓迎レセプション、磯庭園での思い出として歌にしている。
知事室 翁は2007年9月に82歳で病死されたが、病の床に見舞いに来た孫が本を読んでくれたことに対するお礼が自作の最後の歌となった。 冥福を祈りここにご紹介したい。
“サンキュウケイゴ これまで、上村南水翁の足跡を追って鹿児島からの米国渡航者の歴史を見てきたが、太平洋戦争を挟んで米国渡航の目的が大きく変わってきたことに気づいた。明治前後から太平洋戦争までの米国渡航を「出稼ぎの時代」とすれば太平洋戦争後の渡航は「新大陸に夢を実現」しようとした試みといえる。 |
| 補追 (追記)執筆中に鹿児島県人の海外渡航に関する資料を見つけましたので、ここに付記します。 鹿児島県の合併前市町村 |





